元オリンピック女子マラソンで日本の女子マラソン界の一時代を築き上げた増田明美さんはご存じでしょうか?
1984年にロサンゼルスで開催されたオリンピックでは、日本の大勢の人々が、テレビの前で増田明美さんをテレビの前で声援を送っていたことでしょうね!
選手として活躍されていたころからもう40年!現在もスポーツジャーナリストやナレーターとして活躍中ですよね!
そんな増田明美さんの、今と昔の姿を比べてみました。
増田明美 選手情報やプロフィールまとめ

選手情報 | |
---|---|
フルネーム | 増田明美 |
愛称 | 女瀬古 |
国籍 | 日本 |
種目 | 長距離走 |
所属 | 成田高等学校 川鉄千葉(現・JFE千葉) 法政大学 NEC |
生年月日 | 1964年1月1日(61歳) |
生誕地 | 千葉県いすみ市 |
身長 | 150cm |
体重 | 39kg(現役時) |
自己ベスト | |
3000m | 9分11秒95 (1983年) |
5000m | 15分38秒29 (1982年) |
10000m | 32分48秒1 (1982年) |
マラソン | 2時間30分30秒 (1983年) |
隠す獲得メダル陸上競技 日本アジア選手権金1981 東京3000m |
プロフィール Wikipedia
マラソンを始めたきっかけと持久力がついた理由は?

みかん農家の家庭に生まれ育ち、みかん山を走り回って育つ。小学校は自宅から約2.5kmの距離があり、そこを歩いて通学したことに加え、しばしば登校中に忘れ物に気づき自宅まで走って取りに戻ったりしたことが、足腰や心肺能力を高めるきっかけになったのではないかと思っています。

みかん農家の家庭に生まれ育ち、みかん山を走り回って育つ。小学校は自宅から約2.5kmの距離があり、そこを歩いて通学したことに加え、しばしば登校中に忘れ物に気づき自宅まで走って取りに戻ったりしたことが、足腰や心肺能力を高めるきっかけになったのではないかと思っています。
増田明美さんは、小学生時代は足が遅いという理由で運動会は嫌いだったようですね!
毎日の約2.5kmの通学にの中であの持久力が身についたことがわかりました。
オリンピック選手を経て現在までの主な活動は?

1964年 | 千葉県生まれ。 私立成田高校在学中、地元千葉での初マラソンでは全男子選手を抜き去りながら2時間36分34秒の日本最高、かつ世界ジュニア最高記録で走る。中日20キロマラソンで世界最高記録で走り、瞬く間に”ロス五輪期待の星”となる。 |
1982年4月 | 川崎製鉄千葉に入社。 |
1984年8月 | 日本中の期待を集めたロス五輪(女子マラソンは初めての公式種目)では無念の途中棄権、川崎製鉄を退社。 |
1986年3月 | 教職を目指し法政大学に入学するが、マラソンを捨てきれず、1年で中退。 渡米してNECアメリカに入社、オレゴン大に陸上留学し、明るさと独立心を身につけて帰国する。 |
1992年1月 | 大阪国際女子マラソンを最後に引退、日本記録12回の13年間の現役生活に幕。 自己ベストは1983年TCの2時間30分30秒。 |
2001年3月 | 2000年度「放送ウーマン賞」受賞。 |
現在の姿が若いと噂されている理由は?

現在は、テレビ・ラジオでマラソン解説やトーク番組に出演するほか、講演会、日本各地の市民ランナーへの指導やスポーツライターとしても数多く執筆中。走る楽しさを伝えるため、全国を走り回る毎日。
増田明美さんが現在も若々しいと噂されるのは、元マラソンランナー時代の経験を活かし、日本中を飛び回り、いきいきした生活を送っているからでしょう!
まとめ
元オリンピック女子マラソン選手の増田明美さんは、軟式テニス部員だった中学1年の秋、町内一周駅伝大会に助っ人ランナーとして出場したのが、きっかけだったことがわかりました。
現在は、スポーツジャーナリストとして、執筆活動、マラソン中継の解説もしています。
その他、講演、イベント、テレビ出演、ナレーションなど多方面で活躍。 日本パラ陸上競技連盟会長など公職も多数務めています。
現在も、とっても綺麗ですよね。
こんなにたくさんの活動をしていること、それが若々しくいられる秘訣なのかもしれませんね(^^♪
今後の活動も応援していきましょう!
ありがとうございました。
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